君にいつか伝えたかったこと
私は誇りを持って君の前に立っていた。
背中に追い付きたいと書いてくれた君の手紙、目を輝かせ感嘆してくれた君の表情、
今となっては懐かしい君との会話、報われずとも一生懸命頑張っている君の姿、
全部が私を奮い立たせてくれていた。
君が、私の存在に勇気づけられると言ってくれた時は、本当にただ嬉しかった。
だけれど、実際は私の方が勇気づけられていたに違いない。
今、君の前に立っているのは全く別の誰かだけれど、
きっとその誰かも、誇りを持って君の前に立っているのだろう。
かつて君に背中を追ってもらえた、私のように。
天才
自分の生きる意味を問うてきた。そういうことを言うと「そんな事気にしてるの?」と返される。「複雑なことを考えるだけ時間の無駄だよ」と付け足されることもある。
何故自分の存在を疑わずに生きられるのかと不思議だったが、それはどうやら生きる才能が関係しているのではないかと思うようになった。
生きることにも才能人はいて、彼らは自分の存在を疑わずとも人生を歩める。私がどうしてもひっかかってしまう諸問題を難なく超えていく。生きる価値、生きる意味、生きる目的、生きる理由、言い方は色々だが要はそれらを探す必要がなく生きていけるらしい。いちいち探してしまう自分がいかに効率の悪いことか。これは努力でなんとかなるものだろうか?ピアノは練習すればある程度は弾けるようになるが、これはそうやって乗り越えられるのだろうか?
努力
定期検診に行く度に、私はいつ治るのかとぼんやり考える。そして治った後の世界がどれだけ素晴らしいかを想像する。自分がもっと活動的になり、人との関わりも億劫でなくなり、より何かに打ち込める…と夢は膨らむ。
同時に、患いは自分にとって都合の良い言い訳なのではないかと思い当たり、結局自己嫌悪に至る。
ある時、著名人が言っていた。「努力が足りないだけです」
ある時、父が言っていた。「お前には努力が足りない」
ある時、先生が言っていた。「努力が不十分」
生きる事さえ辛い私にこれ以上努力をしろというのか、と反論しかけた頃が懐かしい。
違う、多分、本当に努力が足りないんだ。現状を脱却するだけの気力が無いんだ。あるいは覚悟が無いんだ。
どう転ぶか分からない中で人生を変える覚悟をするより、このまま陰鬱とした生活を送った方がマシだと思っているのかもしれない。
だから今日も、憂鬱になる。
覚悟は今日も、決まらない。
やる気
何もやる気が起きない時は、何もやらずに過ごして、それが飽きるのを待つようにしている。他の得策があれば良いけれど、今は考えるのも億劫だ。
本日は晴れ、だが、
どうしてこんなに晴れた夏の暑い日に、真っ黒な悲しい行列が出来なければならないのか。眩しいほどの明るさが、かえって現実を鮮明に見せているようだ。
慣れることのない、あの言葉も言わなければならない。晴天には不釣り合いの、冷たいご挨拶を。
アウトプット
絵を描いていたり、物を塗っていたり、文章を描いていたりすると、突然頭に何も浮かばなくなってバッテリー切れのように寝てしまうことがよくある。そして充分寝た後は随分と頭が冴えて、また作業に取り掛かれる。勿論それきり作業に戻れない時もある。
凄く不思議な現象だと思う。ランニングをした後に疲れて寝るのと似ているけれど違うような感じがする。勉強した後疲れて寝るのとも似ているけれどやはり違うような感じだ。考えに考えた末に寝てしまうのとは近いかもしれない。
何の力を使っているのかは分からないが、とにかくそういう作業をするにも限度かメーターがあるようだ。
今この時にもそれを使いながら、寝ないように文章を書いている。
1059大戦の
某次世代頭、の女性化。
何かと戦っているような強き女性がやたらと好きです。お淑やかなのもいいけれど。