すなおになること
素直になるのは難しいことだ。自分の気持ちを飾らずにいる面では同じにしても、我儘は簡単であるし、傍若無人なのも容易いことだが、素直になることはそれとは違う難しさがある。
分からないことを分からないと言うには勇気がいるし、反省すべきことを反省するにはプライドが邪魔だし、感謝や褒める言葉もまっすぐ言うには照れくさい。
今までの経験、自分の立ち位置、周りの人々との関係、性格など、たくさんの要因があって、それらが高まる程に素直になることは出来なくなるのだろうけれど、それでもやはり素直になることは成長する為に必要であるし、素直な人は人として接しやすいと思う。
そう思いながらも、素直になるのはやはり難しい。
タイトルを決めてください
つくづく思うのだけど、思い立てば割とすぐ文章は書けるのに対し、何にもない時は本当に何にも書けない。
書き慣れていない証拠だろうか。毎日何かしら綴っていれば、何もない時でも何かしら書けるようになるのだろうか。
だけども、毎日何かしら綴るというのは、なんでもいいわけではなさそうだ。
一行一文で書いていけば短文は上手くなるかもしれないが、長文は苦手になる気がする。勿論、一概に長文が良いとは言えないし、短文の方が分かりやすい。
それでも私は、できる限り一定の長さを書きたい。
だからこそ、今日みたいな日は何を書こうかわからなくて悩む。
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落書きの続き。
落書き
ここ最近でやたらとファンタジー系を描いたけれども、多分まだ描きます。ファンタジーな成分が足りない。足りない。
行かなくちゃ
体調が万全でなくても、やはり自分が携わったものがどうなっているのかは気になるので、足を運んでみることにした。
こういう時ばかりは、決断力と行動力があるのになとつくづく思う。
興味関心は、強い原動力だ。さらに緊急性や希少性を感じれば、尚更何としても遂行しようとする。常日頃からそうなれば、きっと自分は否が応でも動くのだろうが、それは無理な話だ。健康と長持ちする体力が必要だろうし、恐らくずっと気を張らなければならなそうだ。
怠い朝
えらく怠い朝に腹痛があると身体が動かないくせに痛いので、なんとかならないかと考えてみる。
怠さがとれないのは、朝に用事がある場合において不都合だ。非常に不都合だ。遅刻のもとである。
鉛筆削りにも使い方はある
このまま何もかも投げ出して逃げだしたい。頑張る分だけ身は削れていく。成果よりも損失の方が大きい。
チーム内での会話が楽しくないばかりか苦痛で仕方ないソロプレイヤー、そいつを直さなきゃ社会には出て行けないってさ。
じゃあ今まで生きてきた世界は何?